天狗岩からさくら通りを眺めてみた。
京あるいは近江から美濃を経て遠く陸奥・出羽国に通じていた東山道の道標となっていたこの場所で、いにしえの旅人も同じように夕日を眺めたかもしれない。
1300年ほどを経て昭和の時代に工場が立ち北側には桜並木ができた。工業用水を供給するタンクを設置した波平氏はここからみやこに思いをはせたのであろうか。
栃木市合戦場に生家のある日立製作所創業者 小平浪平氏は、
太平洋戦争末期戦災によって40%の生産能力を失った。なかでも日立工場は80%の能力を失ったという。
日立製作所栃木工場は1945年に操業が開始されている。戦火厳しい中、故郷の地に新工場を建設したのは偶然ではあるまい。早くも翌46年にはGHQ向けに電気冷蔵庫の製造を再開している。
1947年第二次公職追放の際 2代目社長を倉田主税氏に引き継いだのは、波平氏が小平家の長男ではなかったためかもしれない。
(参考:開拓者たちの挑戦 日立100年の歩み p.46,p56など)