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二物考

高野長英は1836(天保7)年、天保の凶作の際しひとびとの飢えや寒さの困窮を救うため、ソバと馬鈴薯の栽培をすすめました。

 

青木昆陽、そして時代は異なりますが川田龍吉もおなじ思いだったのでしょう。

 

なお「救荒二物考」には、おそらく日本で初めて記されたであろうビール醸造法もあります。

高野長英 二物考
高野長英 二物考