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宇治拾遺物語 酢むつかり

巻四 (69)慈恵僧正戒壇築かれたる事

 

これも今は昔、慈恵僧正は近江の国淺井郡の人なり。叡山の戒壇を人夫かなはざりければ、えつかざりけるころ、淺井の郡司は親しき上に、戒壇にて佛事を修する間、このの僧正を請じ奉りて、僧膳のれうに、前にて大豆を煎りて酢をかけけるを、何しに酢をばかくるぞと問はれければ、郡司いはく、暖かなる時、酢をかけつれば酢むつかりとて、にがみてよくはさまるるなり。しからざれば、滑りて挟まれむなりといふ。僧正のいはく、いかなりとも。なじかは挟まぬやうやあるべき。投げやるとも挟み食ひてんとありければ、いかでさる事あるべきとあらがひけり。僧正勝ち申しなば、こと事あるべからず。戒壇をつきて給へとありければ、易き事とて煎大豆を投げ遣るに、一間ばかり退きて居給ひて、一度も落さず挟まれけり。見る者あざまずといふことなし。柚の實の只今しぼりり出したるをまぜて、投げて遣りたるおぞ、挟みすべらかし給ひたりけれど、おとしもたてず、又やがて挟み留め給ひける。郡司一家廣き者なれば、人數をおこして、不日に戒壇をつきてけりとぞ。

 

藤井乙男 校 ほか『宇治拾遺物語』,有朋堂書店,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/977875 (参照 2023-06-15)